ささまる血風帳

140字にまとめるのが苦手

うんち!

何も言わずにご唱和願いたい。

うんち!!!!!

 

満足した。嘘である。うんち1つで世の中の不満が解決するなら戦争は起こらないし、労働者組合は結成されないし、Twitterに「#うんちはただちに辞職しろ」的なかぐわしいタグが並ぶこともないのである。うんちが辞職したところで世界は変わらないし、うんちみたいな日常が変わることもない。

しかしそんな無益な、無意味な言葉にこそ意味を見出しうるのが人間の美徳というもので、「うんち」と聞くだけで腹が捩じ切れるほどに笑った時代は義務教育の充実している日本で住んでいるならば誰しもが通ってきたことと思う。今こそうんち革命を起こして、週休3日をスタンダードとすることもやぶさかではない。そして僕はうんち皇帝としてこの不毛の日本に童心を取り戻すのだ。何が言いたいかと言うと夏休みください。

 

それはいいとしてなぜこれほどまでに「動物が、消化器で消化したあと、肛門から排出する食物のかす。大便。ふん。」(デジタル大辞泉)の俗称を連呼しているかというと、それは僕の昨日の言うも涙、聞くも涙の不幸に起因する。

金曜日の定時を迎えた僕は、ステルス機能をフル活用して上司の目を掻い潜り会社からの脱出を果たす。現代日本では退社時に脳内でGet Wildを流すとよいとされているが、そんなことをすると僕の場合はそのまま会社を爆破して爆風とともに去っていくところまで再現してしまうので、新宝島で代用しておいた。エレベーターの中で新宝島ステップを刻み、久しぶりのシャバの空気を取り込んだ。めちゃくちゃ街中なのですげぇ臭かった。

家に帰って文章を書くなり映画を見るなり何かしよう、とマスク越しにでも分かる満面の笑みで電車を乗り継ぎ、最寄りの駅に到着する。駅から自宅まではそこそこの距離があるので、大学以来苦楽をともにしてきた愛車(チャリ)を駐輪場から出そうとした。

べりべり、という音が鳴った。

べりべり、は粘着性の高いものを剥がす時に発生する音で、普通であれば自転車からは発生し得ない音だ。べりべり、この音が僕の金曜日の夜の最高にハイな思考回路を完全に狂わせた。何が起きている?あれ、タイヤってこんなに平べったかったっけ。味付けのりみたいにぺったりしている。

F◯CK

タイヤの側面が爆発して何やら張り裂けていたので、もうこれはあかんやつだと理解した。あかんのならば仕方ない、と変化する状況に対応出来るのが僕の素晴らしいところだ。駐輪場の料金を支払ってしまったことは仕方がないので、ひとまずこのまま駐輪場に置いておいてバスで帰宅、しかるのちに軽トラックで回収に来よう。そう思ってバスに揺られ、

途中で浅倉透を感じたりもした。ていうかこのボタンきったねぇな。

そして軽トラックを運転して5年間をともに生き抜いた戦友の亡骸を迎えに行くと、なぜか駐輪場のクソババa…ではなく担当の方が僕の自転車を違反駐車ゾーンに移動していた。料金を払った上で指定の場所に停め続けていたことの何が違反なのかは僕の理解の及ぶところでなかったが、どうか穏便に彼の亡骸を回収すること、その一点しか僕の頭の中には存在していなかったので、引き攣る笑顔で担当の方を待ち続けた。小一時間、何もない不毛の駐輪場で、彼の亡骸とこれまでの思い出を語らい続けていると、ごってごての化粧に汗まみれの汚らしい担当の方がやってきた。なんか言っていたが、僕の中の防衛本能が働いたのか内容は聞いていない。最後の方に「まぁパンクしてるから今回は許したるわ」的な上から目線の発言があったことだけは覚えている。

UNCHI

しかし彼は僕が運転中にタイヤを爆発させることなく、最後まで駅に僕を連れて行ってくれたのだ。そんな誇り高い彼の前で汚い罵り言葉など吐けるはずもなく、僕は拳を握り締めながら彼を軽トラックに優しく積み込んだ。やたら車体が重たく感じたのは、彼に「魂」というものが宿っていたからだろうか。シンプルに僕が非力なだけだ。

今日は彼を弔ったのちに、新たな相棒を探しに行こうと思う。1日がこれで潰されるの、まじでうんち。

 

かしこ