ささまる血風帳

140字にまとめるのが苦手

朝の電車を乗車率100%超に至らしめる怪異、スーツ人間達についての一試論

先に断っておくと、僕は学問的な過程で悦び勇んで研究を重ね、人生で唯一遊ぶばかりを許された大学生活を研究室という紙の匂いしかしないドブ溝に捨て去った殊勝でいて哀れ、そしてその哀れさにすら気付かないド変態たちとは既に袂を分かっている。

仰々しいタイトルは所謂「クソデカ構文」と根源を同じくする男子学生的な虚しい誇張表現であり、朝の電車には怪異は居ないし、乗車率が100%を超えているのかどうかも正直知らない。正直隣接する人間の容積によって体感が変わるだけだと思う。あとは正気かってレベルで無理やり乗り込んでくるやつもいるので、押し込まれた乗客全員で反動を利用してそいつをガラス扉に叩きつけてやるという大立ち回りは毎朝全国の電車という舞台で飽きもせず演じられているであろう。現代の勧善懲悪劇、初期浄瑠璃の趣を匂わせる痛快さだ。

話があまりに逸れている。

そう言えば、ブログの更新頻度が云々、みたいなお決まりをなぞるのも疲れた。

僕は天地天明が認めるところの誠実な男なので、思ってもいないことは断じて口に出来ない。友人が間違えていることを言っていると思ったら正すし、美女が間違えていることを言っていると思ったら賛同する。美女が言っている時点で僕の意見は上書きされるからだ。何も矛盾はない。自由意志を持つ人間としては明確に矛盾しているが、論理展開に何ら矛盾はない。僕は理知的な男なのである。

話があまりにも逸れている。

つまり、ブログの間隔が空いたことに託け「次からは頻度上げますよ」と言わんばかりのポージングだけを取ってみせて、腹の中では「次の更新は来年であらふな」とほくそ笑んでいるような、そんな悪代官のような不誠実な真似はやめだということだ。次の更新は来年である。何が悪いのか。

ああ、僕の人生に彩りを!

書くことがないから仕方ないのである。書くことがないから、通勤電車に揺られながらこのような詭弁を弄し続けるくらいしか出来ないのだ。

――通勤電車!

一体全体どういうことか。あの藤井聡太名人と並べて日本の「双頭の龍」と称せられる傑物たる僕が本題を見失うとは。僕のこの試論により日本社会の暗澹たる闇が暴かれることを恐れる存在、つまり民衆を働き蟻の如く搾取し続ける邪智暴虐の腐敗議員の仕業に他ならない。

これは陰謀だ!

ツインヘッドドラゴンのかたわれがこんなことを喚いているうちに、将棋が強い方のツインヘッドドラゴンは今日も着々と勝ちを重ねて社会的な地位を盤石なものとしている。そのうち将棋が強くない方のツインヘッドドラゴンが腐り落ちて、真の龍王と成るのだろうか。

何歳になっても中二病は終わらない。子ども心を無くしていないと言って欲しい。人生という一方通行、墓場への急行電車の中でも僕は出来る限り降車を欠かさない。そんなことばかりをしているから遅刻する。

――急行電車!

もういいと思う。そろそろ本題に入るべきだ。しかし本題というのは話すべき題である、ということで、果たして話すべきかという観点において、ツインヘッドドラゴンの生態とその価値においては寸分も違わない。藤井聡太氏の名前が出るだけあっちの方がまだ価値があるかもしれない。今すぐにタイトルを「龍王誕生譚〜呪いの笹と満員電車〜」に変更すべきかもしれない。しかし今さらタイトルを変えたところで、ツインヘッドドラゴンについてこれ以上僕は語る言葉を持たない。ツインヘッドドラゴンなどおらんからである。

無駄なことばかりを書いたせいでもう電車は会社の最寄駅に到着せんとしている。「何言うてますのん」と車内アナウンスが呆れている。

致し方ないので、後半は帰りの電車で書こうと思う。今まさに電車に乗っているという臨場感、マスクを貫通するスメルを放つ僕の未来の姿、即ちおじさんへの憎悪を執筆エネルギーに変えてきたが、一旦はここで筆を休めようと思う。筆というか指だが。

------------------------------------

昼休みである。どう考えても定時内に終わるビジョンの見えない作業を殊勝に片付けているうちに定刻は過ぎ、どういうわけか十五分遅れの昼休みである。

毎朝業務開始の二十分前には出社し、休み時間を浪費し、定時後のよくわからない「休憩時間」というやつは三十分の無賃労働を強いてくる。ルール、制度、規範の敗北を感じざるを得ない。

ルールを守らない人間は膂力を失った猿である。即ち猿以下である。猿と同等の思考力であることを社会は求め、我らの正気を奪い、得体の知れないマージン、タダ働きで発生した利益をどこかに隠し、「フフン 君たちは猿だから分からないだらふ」と諭吉に火を灯して靴を探して見せるのだ。これは陰謀だ!

そろそろ太陽の下で陽に灼かれながら文を綴るのも疲れてきたので、やたらめったらクーラーの効いたオフィスに戻ろうと思う。未来の子どものも考えられぬ猿どもめ、恥を知るといい。猿でも自分の子どものことは慮る。

これは僕が上着を忘れたことの八つ当たりなどでは断じてないのだ。

------------------------------------

世の中には残業もなく、太陽の見える時間に会社を飛び出し、道行く人間を巻き込みながらさながらサンバカーニバルの如く闊歩し、煌めく繁華街に消えていく連中がいるという。そんなやつらはサンバを夢中に踊るあまり腰が引き締まり過ぎてポッキリ折れてしまえばいい。

当たり前のような顔をして2時間近くの残業をこなした後、酒くさい僕の未来の姿、すなわちおじさんがギャーギャーと電車で産声を上げているのを聞きながら、僕は表情をぴくりとも動かさずに電車の吊革の上の部分を掴んでいる。決して表情が死んでいるのではない。

僕は表情が豊かな男である。どれほど豊かかと言えば、僕が健やかに笑っていれば空は晴れやかだし、僕がムズカシイ顔をしていると空は雲で塞がっている。これは嘘ではない。僕は低気圧にすこぶる弱いからだ。

――電車の吊革!

そうである。気づいた頃にはこの文章の80%超が満員電車に何ら関係のないツインヘッドドラゴン奇譚と化していた。

こんなくだらないことを言っているうちに、いつの間にかマイスイートハウスの最寄り駅まで残り数刻というところである。本稿はある日の僕が出勤から帰宅までの時間で完成させるという厳格なルールの元で執筆されているため、残された時間は少ない。

それにしても、1時間に十数本は通過する電車を毎朝あれだけの人間が埋め尽くしていると思えば寒気がする。7時に起きて9時から21時まで働き、帰路に着く。そんな偉大な人間があれほど多いのに、その90%はおよそ裕福そうに見えない。頑張ってる人間はそれなりに幸せになって欲しいものである。僕含め。そういうわけで、僕は酒を飲む。酒を飲みながらうつらうつらと考える。この消えたマージンの在処は一体――、失礼。どうやら別車両に僕の命をつけ狙うヒットマンの姿があるらしい。これ以上は僕の身に危険が及ぶため、ツインヘッドドラゴンの正体についてはまたの機会に明かすことにしたい。

 

――断じて最寄駅が一緒の上司の姿を認めたわけではないのである。そちらの方が、政府のヒットマンよりよほど恐ろしいのだ。

かしこ

笹ノ昔噺2 〜煙と曲者とPS2〜

読者っちへ

うぃっす〜!ささまるです!

毎日の仕事で、つらみが深いので、

しばらく筆をスヤァしておこうと思います。

次回は書けたら書くマンです!

 

ということで当たり前みたいに半年ぶりの更新です。最近文章を書いたり、考えたりする脳の機能が著しく減退しているのを感じる。そろそろ真面目に断酒しよう。そしてブログでリハビリをしよう。今日は↓のような私小説だけれど、前みたく適当なブログをちょこちょこ書いていきたいという気持ちだけ表明しておきます。

 

余りに適当に書いているせいで、どんな文体で書いていたかを忘れた。だって半年前なのだもの。あ、前回はこれです→(笹ノ昔噺1 〜孤独とパンクと京女〜 - ささまる血風帳)。

大体そんな感じで、僕の大学1年目夏までの記憶はまるで1週間前の晩ご飯のように朧げだ。そもそも食べたっけ。たぶん週末を楽しむために無理やりラーメンを食べて余計嫌な気分になった気がする。

なぜ朧げかと言うと、本当に何もないからである。閉店間際のスーパーならまだクリアランスセール的なものをやっているが、僕の場合そこから何かを売ってしまうと本当に何も残らない。惣菜の中でも不人気を極める(個人の感想です)おからですら残らないだろう。

とにかく、「どうせ単位足りへん言いはるんやから」と涼香の厳しい管理の元、一年次に取っておくと後が楽になるタイプの単位をどっさりと取得し、1日4〜5コマを週5回繰り返すことになった。全休なんて無いし、時々はサボって彼女に詰められたが、充実したキャンパスライフなど夢のまた夢、高校時代とさして変わらない生活であった。確かに高校の規則正しい生活から離れて時間の浅い一年次にそれを敢行する、というのは我が恋人ながら理には適っている。しかし一体全体人間はプログラムでは無いわけで、想定通りの挙動をすることはないのである。プログラムでもしねえよ。仕事を思い出して鬱になった。

どうやら彼女は僕を教職員にしたかったようであるが、日本国憲法の講義は初回で完全に挫折したので(僕は興味が無い事柄の暗記が絶望的に出来ない)、めでたく僕は教職コースからは命からがら脱出することになった。

f:id:wannabelemontea:20230609082521j:image

逃げ出さなければ今頃僕は既婚者であったような気もするが。人生とは選択の連続である。

ふらりと入った軟式野球サークルも、人数が足りていないため廃部となった。行ったのは守備練習くらいのものである。「根本的に人と関わるの向いてはれへんねえ」などとラインを超えた暴言を食らう疫病神っぷりだが、割と苦手だったフライボールが捕れるようになったので、それはそれでいいかということにしておく。

「ささくん、ささくん」

1学期の試験期間最終日、疲弊した顔で講義室を出た僕に、涼香がふわりと笑いかける。

「ちゃんと出来はったん」

「持ち込みアリだからね ほぼ写経だよ」

ちゃりんと自動販売機に金を入れて、リアルゴールドをごくごくと飲む。この頃の僕はまだ飲酒していなかったので、リアルゴールドがこの世で1番美味しい飲み物だと思っていたわけだが、飲酒した今でもリアルゴールドがこの世で1番美味しいと思っている。

この一文に意味はなかった。

そう言えば最近は自動販売機に小銭を投入することも無くなった。スマホを翳せば飲み物が出てくる世の中は一体どこへ向かっているというのか。

けたたましく鳴く蝉は一体何を主張せんとして叫んでいるのだろう。今まで暗い土の中に閉じ込められて、やっと外へ出たかと思えば、クソ暑い太陽の下で五月蝿い五月蝿いと罵られる、そんな苛烈な運命への怨讐であろうか。ロックとは蝉なのかも知れない。

じりじりと陽炎に揺れるキャンパスを眺めていると、ふわりと風が吹いてくる。ぱたぱたと扇子で風を送ってくれる彼女が、ころころと笑って言う。

「はい、前期よう頑張りました」

「周りからはこの光景がどう見えているんだろうね」

「健気な彼女さんやなぁって思われとるんとちゃいます 亭主関白やね」

「完全に僕が悪役じゃないか」

「昔からそうやないの」

僕らが座るベンチの前を通り過ぎる男子学生達の詰るような視線が刺さるように痛かったが、確かに高校の時からずっとこの様子なのである。

 

高校時代、僕は基本的に暇だった。暇だった僕は、友人と話すくらいしかやることがなかったので、それはよく友人と話した。話した内容は何も覚えていない。「話してコミュニケーションを取った」という事実が大切なわけで、何を語らうかなど高校生にとっては心底どうでも良いことなのである。

そして僕は隣の、さらにもうひとつ隣の席の男と仲が良かった。僕とそいつに挟まれた人間は、止まらないマシンガントーク、とめどない情報の濁流に瞬く間に頭をショートさせ発狂し湖水のほとりへ獣のように走り出したものだった。僕の名誉のために白状するがこれはめちゃくちゃ盛っている。

しかし、僕らの波状攻撃をものともしない存在が現れた。それは情報攻撃の効かないアンドロイドでもなく、アーノルドシュワルツェネッガーよろしく屈強なマッチョマンでもなく、ただただ可憐な乙女の形をしていた。

名を柊木涼香と言った。

奇妙に思った僕は、彼女にちょっかいを出し始める。

「…そこで僕はサスペンドをブラッシュアップしてソフィスティケートしたわけさ はは、柊木さんはどう思う?」

「せやねえ それはサステナブルやわぁ」

その言葉の海の広さ、深く透き通るような含蓄に僕が心を奪われるまで時間はかからなかった。──ある日、いつものように授業中に爆睡を決めて効率的な体力回復を行っていた僕がぱちりと目を覚ますと、彼女と目が合って、「おはよう」と柊木さんが悪戯な表情で口パクをしてみせて、それで完全に恋に落ちてしまったとかでは断じてない。僕はそんな浮ついた性根は持ち合わせていないのである。

「柊木さん、僕は君のことが好きでね」

「はいはい おおきに」

日常的に何度告白してもこの調子だったので、僕は攻めあぐねていた。よくよく考えてみればそんな奇行は確実に笑いを取るためのものと判断されて然るべきなのだが、とにかく僕は彼女のことが好きでたまらなかった。

「取り合ってくれないなあ」

「そういう芸風ですやろ、分かってますさかい」

「どうしたら本気と思ってくれるだろうか」

「その賢い頭で考えはったらええやんか」

くすくすと笑って、彼女が本をぱらぱらとめくる。それは夏目漱石だったり、太宰治だったり、芥川龍之介だったりした。幸運なことに僕はその辺りに詳しくなくもなかったので、彼女とは話が合った。

「君は本当に本が好きだ」

「そうでもあらへんよ 映画の方が好きやわあ」

「君の撮る映画はきっと素敵なんだろうね」

「やったことないからよう分かりませんけど たぶん、撮るより見る方が好きやねえ」

彼女は部活に入っておらず、そして偶然僕も部活に入っていなかった。なので、学校から駅への帰り道も彼女の隣に着いて行った訳であるが、だがよく考えればそんな噂が立ちそうなことを嫌な顔ひとつせずに受け入れてくれた時点で、僕は彼女にもっと誠意のある物言いをするべきだったのかも知れない。

 

「回想編終わらはりました? 長いんやねえ」

「そうだね、終わりだね」

そして今の僕はぱたぱたと彼女を扇子で扇ぎ申し上げている。そよそよと揺れるその黒い髪が綺麗で、多分すごく良い匂いがしているのだろうと思った。

「アイスでも食べに行くかい」

「そうやねえ 家に買って帰ってもええけどね」

TSUTAYAにでも行こうか」

この頃は「さぶすくりぷしょん」という破壊的な概念はメジャーでなかったので、学生が映画を見るとなるとレンタルビデオが主流であった。ものすごく不便な時代に感じるが、正直言って思い立った瞬間に何でも手に入れることの出来る今の方が明らかに異常である。

ただ、こうは言っていても、こうして座っている日陰には少しだけ涼しい風が吹いていて、そよそよと心地が良かったので、2人して動く気にはなれなかった。何より、彼女はこういう風情めいた時間を好むので、いつも涼香が満足するまで僕は急かさないようにしていた。

「…柊木女史じゃないか 相変わらず釣り合ってないねぇ」

聞こえてきた不快な声に僕の眉がひん曲がる。偏屈、傲慢、猥褻とこの世全ての悪を詰め込んだ異形の男が、ずいぶんと嬉しそうな顔をして彼女の前に立った。名を柿本と言った。

「そうですやろ、素敵な人やさかい」

涼香がにこやかな表情で躱す。

「なんだ柿本」

「いやいや、別に何も 邪魔してやろうと思っただけだよ」

そんなことはなくて、恐らく例の文芸サークルとやらの誘いなのだろうと僕は思った。柿本はやたらと僕を誘ってくる。明らかに涼香を気に入っているようなので、あわよくば僕と一緒に彼女も入会させてやろうとしているのかも知れないが、生憎僕は涼香と同じサークルに属す気は全くなかったので、彼女が入りたいと言えば彼女だけが入ればいいと思っていた。その頃の僕は文章を書くことに興味が強くなかったので、そのサークルに入るメリットは「学内に雨でも横になって昼寝できる場所が増える」くらいのものであった。

「部員が足りないと先輩にどやされるんだよ、おっかない」

「どやされる割には随分うれしそうにしているけどね」

「あの人は見てくれだけは立派だからね」

学部の関係で、涼香は既にその「先輩」とやらとは顔見知りのようであった。曰く、綺麗な人ではあるらしい。

「君は興味ありそうだね」

「私? 書くのはちょっとねえ」

「なら、査読をしてもらうでも構わない 落ち着いて本を読める場というのも貴重だと思うけどね」

「へぇ、それならええかも ささくん?」

彼女がじっと僕を見つめた。反対したりしないのは分かっていても、彼女は一応こうして僕の許可を取ろうとする。

さっきの扇子もそうであるが、他人に僕が少しみっともない人間に映るように感じて、何度か辞めるようにやんわりと伝えてはみたのだが、僕を立てるような素ぶりが彼女の中では落ち着くらしく、話し合いは平行線だった。

「…いいと思うよ」

「じゃあ、2人でお邪魔さしてもらいます」

「…いやいや、ちょっと待ちたまえよ 僕は入るとは──」

否定の言葉が紡ぎ終わらないうちに、柿本に恐ろしいスピードでサークル室へ引き摺られることとなった。囚人でも扱うような手つきで放り込まれた部屋は、とにかく物が多く雑然としていた。

「んぉ?柿本、部員確保したのかぁ」

紙パックの甘ったるいコーヒー牛乳をちゅうちゅうと吸いながら、地面に転がった僕を面白そうに覗き込む女性。柿本の言う通り確かに整った美人だったが、見るからにアクが強かった。曲者という概念を紙パックのコーヒー牛乳で煮詰めて作られたような人だった。

「先輩のお気に入りの女史も居ますよ」

「でかした、じゃあもう君は辞めていいぞ」

引き摺られるでもなく、とことこと歩いてきていた涼香が、お邪魔します、とサークル室のドアを開けた。

「あら 涼しいわぁ」

「やぁ、大和撫子さん」

「お世話様です ささくん、そんなとこ転がっとったらあきまへん」

ぺしぺしと扇子で僕を叩いて、彼女が言う。市中引き回しの挙句、倉庫のような部屋に投げ込まれた恋人にとんだ仕打ちである。

「はい、起きる」

「彼女の尻に敷かれているね、少年」

「尻ならご褒美だったんですが」

「なら、靴の底か」

「概ねそんなところです …少年、という歳でもないでしょう」

「私からしたら少年みたいなものだろ 3つも下なんだから」

いつの間にか記入が済まされている入会申請書を見ながらからからと笑って言う。確かにそう言われれば、そうである気もする。当時の僕からすれば、高校1年生を見ているのと同じな訳で、高校1年生の僕のことを思い返すとそれは「少年」としか形容できないような気がしたので、甘んじて受け入れることにした。

「へぇ 文学部、有望有望」

「…僕は読むくらいしか出来ませんよ」

「いいや、書けるね 書けるやつの匂いがする」

「それはとんだ腐臭でしょう」

「拗らせているやつからしない腐臭がするね」

「アクタさん、随分な気に入りようだ いいおもちゃでも見つけたみたいな顔をする」

柿本がそう言うと、アクタ──芥舞子(マイコ)はくしゃっと紙パックを潰した。

「そうだね、大和撫子さんが居なかったらキスしてやるところだよ」

「歓迎会はアルコール禁止ですよ」

「アルコール無しで何を歓迎するっていうの!」

「芥さんに飲ませると柊木さんの操が危ないですから」

「恐ろしいわぁ なぁ、ささくん」

「僕には少なくとも寝取られ趣味はないからね」

好きそうなのに、と芥が非常に失礼なことを言った。心外である。

桃色動画を見る時は確かにその手のジャンルを好みはするが、別に僕は寝取られ脳破壊感覚が好きなわけではなくて、エロティックな美女が快楽に抗えずに落ちぶれていくのが好きなだけであり、寝取られる感覚は別に必須ではないわけで、とどのつまり僕は寝取られ好きとは正反対の場所に生きているのである。本当だ。

「まぁまぁ、ここから3年は仲良くしてもらうわけだからね」

「院生がサークルですか」

「遊びを忘れた学者など何も成せはしないのだよ少年」

「マイコさんは有名なんよ 優秀で奇人」

奇人、と言われて芥が愉快そうに笑う。奇人と言われて喜ぶのは間違いなく奇人の仕草だし、おそらく優秀なのもそうだろうと思う。

 

かくして、大学構内に僕の寝場所が出来たわけである。(趣味は偏っているが)本はあるし、芥の調達した(趣味は偏っているが)PS2もあるし、そのうちふんだくられた会費で映像サブスクが導入されたこともあり、怠惰を尽くすには事欠かない存外理想的な環境であった。ただ――。

「舞子さん、今日何箱目ですか…」

「ふふん 呼吸だからね」

部屋に充満するアメスピの煙を吸いながら読む本のなんとも言えない味わいに、今でも僕は取り憑かれている。

笹ノ昔噺1 〜孤独とパンクと京女〜

え?これ何ヶ月ぶり?

と思ったらバブルぶりくらいなので大体7ヶ月くらい。1年空かない限りはほぼ毎日更新と言っても差し支えないはずなので、今日も元気に毎日投稿をしていく所存である。

今ここまで読んでくれている読者諸兄におかれましては、おそらくこうお考えのことだと思う。

「タイトルにナンバリングしてるけどどうせお前続けへんやろ?」

 

うっせ〜〜!!うんち!!

 

今電車でこれを書いているのであるが、隣に座った女性が僕のスマホの画面で煌々と輝くクソデカい「うんち」を見ておそらくギョッとしたので、早めに画面からこの「うんち」を追い出すべく可及的速やかに文字を綴って行かねばならないのであるが、こうして「うんち」と綴るたびにその悲願は達成するに能わず、ただただ虚しく画面に「うんち」が堆積していくばかりなのである。さすがに画面上に糞が5つあるのはさしもの僕であれど一定の羞恥心を抱くことであるので、早めに流していきたいと思う。

「うんち」だけにな!

そろそろ本題に入ろうと思うが、最近の僕は小説作品を書くことに関して少し頭打ちしているような気がする。これまでは明確に「前のよりええやろこれぇ…」と完成時には粘ついた笑顔を浮かべていたものだが、最近はそんなこともなく、「前のもいいし今回もいいなあ…」くらいになって、イマイチ成長というものを感じない。いや、そもそも成長ってなに?

正義って何?

強くなるって何?

という「バトル漫画に出てくるそこそこ強めのクソガキ敵」みたいな発想も頭には過ぎるものの、やはり小説的なきっちりとした文体でばかり物を書いていると、文章に柔軟さが無くなって来るのかも知れないとも思うのである。

ところで、僕はそこそこに変な人生を歩んでいるようにも思う。というか周りに居るのが変な人間ばかりなので、自然と変なことに巻き込まれやすいと言った方が良いかも知れないが。

ということでこれから、僕の昔の出来事を私小説的、ないしはエッセイ的に書いていこうという試みである。もちろん話は盛るし、どこからどこまでが本当かどうかなど読者諸兄には分からないものとして描くのだが、ともかく僕の敬愛する森見大先生のように、…いや、あそこまで妄想を拗らせてはいないが、ああいう感じで書いていくよということだ。

そう言えば「諸兄」って物言いも最近だと炎上しそうですよね。

いくよー。

 

今は昔、平成という時代ありけり。あ、もう文語やめます。

とかく、平成という元号はいい。「ヘイセイ」である。この語呂の良さが無ければかのHey!Say!JUMPも産まれていなかったかと思うと、やはりこの天才的なネーミングセンスには脱帽して五体投地せざるを得ないのであるが、僕は別にHey!Say!JUMPにそこまで興味があるわけでもないので、令和生まれをメンバーに揃えたアイドルグループの名前でも考えようと思うのだが、「れいわっふる」くらいしか可愛らしい名前が思いつかない自分の無力さをただただ呪うしかなく、深い悲しみに打ちひしがれることとなった。

大体そんな感じで、大学に入ったばかりの僕は甚だ機嫌が悪かった。第一志望に入ることも出来ず、こうなれば大学生から一人暮らしでもしてやろうと京都のそこそこ綺麗で有名な私立大学に入学することを目論んでいたのだが、親への義理立てで受験していた後期試験に奇跡的に合格してしまい、破格の学費に釣られてその公立大学に入学したところ、とかく設備が古い、汚い、みすぼらしい。その辺の私立高校の方が余程綺麗に整備されているであろうレベルの校舎、独房のようなサークル棟。ああ、さようなら僕のオシャレ大学時代──。

そんなわけで、この世の全てを呪殺せんとするような眼光で臨んだ入学ガイダンス。ああ、もう俺は華々しい大学時代など願い下げだ、ここで崇高な研究者にでもなって本に埋もれて死んでやるのだ──。そんな僧侶のような諦念を抱きながら会場に足を踏み入れ、そして僕は己の目を疑った。

なぜお前らは入学前からTwitterで繋がっている?

レギュレーション違反である。どういうわけか、初めて顔を合わせるはずなのにもうグループが出来ている。お前らは合コンにでも来たのか。

まあよい。そう心の中で鼻をふんと鳴らしながら、席に座ってスマホをぽちぽちと触る。開いた画面は、高校時代から交際し奇跡的に同じ大学に入学した愛すべき恋人とのチャットである。ガイダンスが終われば学内を一緒に見て回って、適当に何かを食べて帰ろうと約束していた僕は、それでギリギリ心の平静を保っていた。

話面白くないなあ。

周りから聞こえてくる、まだ距離感を掴み切れていないが故のペラペラ激寒大声トークに、スマホを叩く指の力は増幅する一方である。あと1秒ガイダンスが始まるのが遅れていたら、間違いなくスマホを木っ端微塵に粉砕して、取り出したレアメタルをアヤシイ業者に売っ払ってその金で青春18きっぷを購入、弾けもしないギターを担いで誰も知らないどこか遠くの街へボンボヤージュしていたところであるが、ともかく説明が始まったので、無事で済んだスマホを鞄にしまったのだった。

 

ガイダンスも終わり、何やら入学オリエンテーション的なキャンプの話を上級生が新入生にしていたところで、そんなものに連れて行かれてたまるかと僕は大講義室を転がり出た。ちなみに殆どの新入生はその場に残ったようである。逃げるように飛び出してきたのは僕と、何やらパンクな風貌の美人の女と、明らかに何かに間に合わなそうな優男と、そして「偏屈」という言葉をドロドロに溶かした上で人間の型に押し込めて作られたのではないかと言わんばかりの妖怪くらいであった。各々疲弊し切った顔で、言葉も交わさずに散り散りになっていくが、そこには確かな絆が存在していた。──いや、呪いというべきかも知れないが、そのことについては追々言及することになるだろう。

僕は恋人、──これを書いている今ではもうその関係に当たらないので心が痛むから、涼香(りょうか)と呼称することにするが、彼女とは連絡がつかないので、適当にぶらぶらとキャンパスを歩き回ることにした。やはり4月、学内には浮かれた雰囲気が立ち込めていて、やはりどうしようもなく浮かれ気分にはなる。断っておかねばならぬことだが、僕は浮かれ気分の人間を妬み嫉む趣味はない。ただ、自分がその中に身を置くのを嫌うというだけで、人が楽しそうにしているのを見るとそこそこに喜べる人間ではある。学内のそこかしこで学内サークルによって敢行されている新入生歓迎バーベキューから発生する炭の匂いに、今日の夕飯は焼肉に行こうなどと単純にも影響されながら、人の居ない方へ、居ない方へと進んでいく。焼肉はうまい。僕はご飯を食べるならハラミ、そうでないならタンが好きだ。

そんなことを考えていると、コンクリートの上に茶色い物体が転がっている。ちょうど焼肉のようであったが、近づくとそれはむくりと起き上がった。大学には色んな生き物がいる、と高校時代の先輩が疲弊した顔で語っていたのを思い出すが、それは誇張では無かったのだと僕はぎょっとした。

「…猫か 驚かせるなよ」

果たして動く焼肉の正体は子猫であった。親は近くに居ないようであったが、特に学内で飼われているというわけでもなさそうであった。

近づけど近づけど逃げない。子猫にすら僕は舐められているのかと嘆息したが、ちょうど行くアテもないし、人もちょうど居ないのでこいつと戯れておくことにする。涼香も猫が好きであったはずなので、あとではしゃぐ姿が見られるかも知れない。ちなみに僕は猫アレルギーなので撫でたりは出来ない。

校舎の近くのコンクリートに座ってふわぁ、とあくびをすると、猫が僕の靴をくんくんと嗅いでいる。やめておけ、それは結構臭い。ぎょっとした顔をすると、猫は僕の近くでまたごろんと寝転がって焼肉形態に移行した。ちょうど良いので「はらみ」という名前を付けてやった。

大学へ華々しく入学し、そして最初に交流した相手が猫であるのは、おそらく今この学内に僕だけであろう。このままこの子猫とコネクションを構築し、それを通じてたくさんの子猫を集めて学内に「ささまる猫喫茶」を開店、そのまま学内の猫好き女史に大モテしてしまってもいいのであるが、普通に体調が悪くなりそうなのでひとまず諦めてやることにする。そんなよしなし事を思索していると、何やらさっき見たばかりの人間が煙草の箱を握って校舎からばたりと出てきた。さっき散り散りになったばかりの、パンクな美人だった。互いに凄まじく気まずそうな顔をした。いかにも「他に行くところがありますよ、あんなくだらないキャンプの説明なんか受けていられないのです」と言わんばかりの顔をして別れたばかりにも関わらず、彼女は法律的にかなりグレー気味、というよりちゃんとアウトの煙草、そして僕に至っては孤独を拗らせて猫である。僕が猫を吸える人間であれば、「キミは煙草吸うの?俺も吸うんだよね、猫の方だけれどさ」などと小粋なジョークを飛ばして彼女の歓心を買うことが出来たのであるが、あいにくそんなことをすれば僕の呼吸器官は間違いなく機能停止してしまうわけで、つまりその瞬間の僕は猫を愛でているわけでもない、ただのはぐれものであった。

何もしないで去るのも気後れしたらしく、パンクな彼女が煙草に火を点ける。美人であるから、その様は随分と様になっていた。ふうっ、と煙を吐いて彼女が呟く。

「猫」

返答に困る。今僕の足元で焼肉形態になっているはらみの生物学的な呼称をぽつりと呟かれたとて、「that's right,this is a kitty,haha」などと陽気に返せる筈もない。

「……猫」

僕が苦し紛れに返す。すると彼女は何かがツボに入ったらしくげふげふと咳返して、涙目になりながら言った。

「だるい ああいうの」

恐らくキャンプetc...のことだろう。その意思確認は先刻、大講義室の前で済ませた筈だが。

「まあ、普通に急過ぎるね」

「それ ワタシ、普通に無理」

「普通にね」

彼女の方も、僕を「真剣にコミュニケーションする必要がない相手」と認識したらしく、悪鬼羅刹の如く憤怒に歪んでいた表情は途端に柔らかくなって、はらみのことをよしよしと撫で始める。その表情は、逆説的な表現であるが今僕と共に孤独を噛み締めているにはあまりに勿体なく、魅力的なものだった。

「サークルとかは?」

「まあ、追い追い探すよ」

「ふぅん なんでもいいけど」

「僕も挫折しそうな気がするね」

それな、と言うように煙草を挟んだ指をピンと立てて彼女が顔をしかめる。

「4年、適当に遊ぶだけでしょ」

「せっかくだし、勉強はしたいけれど」

近代文学

僕に煙草を向けて彼女が言う。ずいぶんと行儀が悪いが、猫にすら舐められる僕からすればそんなことはじゃがりこの内容量が1本少ない、くらいにどうでも良いことだった。

「僕? そうそう、そういう顔してる?」

「少なくとも外国語話したいって顔じゃない」

「そうだね、旅行に行くなら国内がいいな」

「日本、安全だし」

君は、と聞こうとして、名前を聞いていないことがそろそろ会話の上で不便に思えてきた。しかしこの互いに名乗らない、揮発的な関係性が今の2人の間では重要な気もして、僕は言い淀んだ。

「…コイズミウタコ」

脈絡もなく彼女が名乗ったので、僕も返しておく。果たして僕の逡巡は杞憂に終わったわけだが、どうやら小泉詩子には名詞をぽつりと呟く癖があるらしい。

「歌詞研究、したいから 近代文学、一緒かも」

「なるほど、歌詞 邦楽だったら一緒だろうね」

「洋楽は嫌い 聞いてるやつらのせいで」

僕は思わず吹き出した。どう見ても君は洋楽が好きな見た目をしているだろう、と笑いたくなったが、その重量のありそうな革靴で思い切り脛を蹴られることは何となく分かったので、僕の今日の移動手段を守るために口を噤んでおく。

「ロック?」

「見た目で言ったな」

「いやいや、似合ってるよ」

「はぁ …宇多田ヒカルとか、ユーミンとか その辺だよ」

ふう、とひと息ついて彼女は立ち上がった。煙草を器用に灰皿にピンと放り込んで、じゃあねと言った。

「…あ ガイダンス、寝てたから」

スマホを取り出して彼女が言う。

「教えて 単位とか」

「先輩に聞く会とかあるらしいけど」

「…分かってて言ってるな」

今彼女が煙草に火を点けていたら、間違いなく僕の身体には根性焼きの痕が残る羽目になったのだろうが、それにしても初手爆睡とは見上げた胆力だと素直に感心したので、僕はへこへこと頭を下げながらQRコードを表示した。

「…ん じゃあ」

「うん」

最後までまともなコミュニケーションなど取らないまま、彼女は喫煙所スペースを出て行った。

不思議な女であった。あれだけ美人で気さくであれば、その気になればいくらでも人間関係など増やせそうな気もするが、根本的に他人とのコミュニケーションを厭う人種なのだろうと思った。

少し呆けていると、そう言えば久しぶりにスマホを取り出したことに気づく。

「…やばい」

通知の量がとんでもない。──僕のことをよく分かっている彼女であるから、おそらく自分のガイダンスが終わった後に大講義室へ健気に足を運んでくれたのだろうが、そこで僕が脱走したことに気づき、学内の捜索を始めたのだろう。そして人のいない方へ、人のいない方へと足を運び──。

「…何がやばいのん?」

聞こえてきた穏やかな声に、思わず僕ははらみの後ろに隠れる。おい、焼肉形態をやめろ。立ち上がって名付けの親を守るのだ。

「美人さんやったなぁ」

にこにことしながら、明らかに甘い声音で、努めて冷静であろうとするように言う。

「すすす、すす、すっスイマっ」

「…あ、かわいい」

じりじりと詰め寄ってきていた涼香が、しゃがんで足元のはらみをよしよしと撫で始める。

「…まあいいけど お友達出来はってよかったやんか」

「全然怒ってないじゃないか」

「そら、ささくんがあんな美人さんとどうこう出来るって思てへんからね」

ひと通りはらみを愛でてから、鞄からウェットティッシュを取り出して彼女が手を拭く。拭き終わったそれを僕の手の上にぽんと乗せて、捨てといて、と言う。やはり少しは怒っているのかも知れない。

「ガイダンス、逃げたん?」

「失敬だな 最後まで居たよ」

「新入生歓迎キャンプって書いてたけど どうせ行きはらへんやろ?」

くすくすと面白そうに笑いながらちくりと彼女が僕を詰る。高校時代から周囲には尻に敷かれているだの何だのと言われていたが、そんなものは事情を知らない呑気な外野の勘違いである。

──尻、なんて柔らかくて魅惑的なものでは生ぬるく、どちらかと言えば靴底に敷かれている。尻くらいだったらむしろ喜んで敷かれるだろうし、そのまま助兵衛な触り方をして手痛い一撃を貰うことだろう。

「僕は勉強をしにきたのであってね」

「そんなん言うて どうせ休みの回数数えることになるんやから」

その時の僕はまさかそんなことになるとは思っていないので、ふん、と強気な態度を崩さないでいたが、果たしてカレンダーが7月になる頃には時間割に書いた正の字を数える生活となっていた。それが分かり切っていてくすくすと笑う彼女に、僕は口を尖らせて抗議する。

「なんだよ、君は僕にその辺の大学生と合コンでもしてて欲しいのかい」

「したいんやったら、やらはったらええんとちゃいます? あたしは怒りますけど」

「本当、変な人だね」

こういうところが敵わないし、敵わないから良いのである。彼女は僕の情けないところを全部知っていたし、それを知った上で時々身に余る愛情を僕に注いでくれた。簡単に言えば、彼女の側は僕にとってすごく居心地が良かった。

興味がなさそうに寝転がっている猫に、優しく手を振りながら涼香が言う。

「おおきにね この人の相手してくらはって」

「どう見ても僕が構ってやっていただけだろう」

「はいはい 行きましょか」

僕が近くのゴミ箱でウェットティッシュを捨てると、涼香はぴったりと僕にくっついた。

「…やめたまえよ 見せびらかしているみたいだ」

「嫌どすか」

「君が安い女に見られるのは嫌だね」

「あたし、かえらしいさかい 安いに見られた方が楽やわあ」

はしゃいだように手を握ってくる彼女にため息をつきながら、夏になれば虫が凄そうな生け垣をぼんやりと見つめる。僕は、そこに咲いていた赤い椿の美しさを、その柔らかくて細い指の感触と一緒に、今でも忘れることが出来ないでいる。

東京を踏みつける

またやってしまった。

皆さんご期待の通りに。

ブログを0.333....年放置していました。

書くことある人生にしてくれよ!!

 

と、ともすれば政権批判的な厄介ブログになりかねない他力本願絶叫はこのあたりにしておくとして、久しぶりのブログである。

前回更新が1月。それから4か月。時の流れというのは早いもの、そして僕を取り巻く環境も著しく変わった。

まず、フォロワーさんが増えた。嬉しい。そして最愛の彼女が居なくなった。フラれたとか亡くなったとかではなくいなくなった。そういうこともある。

そして何よりテレワークが終わった。またそのうち始まるが、やはりテレワークと出勤ではQOLに大きな隔たりがある。でも僕は出社してるとスペックが高くなる面倒仕様なので、出社は出社でアリ。でも趣味に使う時間がないのでやっぱりNG。しかし趣味とか言っても何してるの?と言われれば閉口せざるを得ないのだ。強いて言うなら映画を見たり本を読んでる。──映画?

俺、『バブル』見たよ。

当然の帰結である。誰も興味がない僕の身の上話はどうでもいい。早く話そう。オタクは見た作品の話をしたくて仕方がない。

ただもちろんネットフリックス先行公開の作品だし、そもそも映画上映始まって間もないし、ストーリーの話とかはしません。ご安心あれ。というか多分内容あんまりわかってない。

それでもよかったなあって思える作品だった。

僕はエモーションでゴリ押してくる作品がとても好きだ。それゆえ、映像美と音楽ですべてを解決してくるパワープレイが映える映画という作品媒体が必然的に好きになる。ちなみになかやまきんに君もとても好きだ。

ヤー!

パワー!!!

小説でしか表現できない、小説ならではの表現を、みたいなのは僕がよく言うところではあるけれども、それでもやはり映像に情報量としては負けてしまうわけで、それゆえその「情報量の少なさ」(これを大谷崎は「陰翳」と呼称した)の調整で勝負することになるのだが、まあそんな話はどうでもよくて、とにかく僕は「こう!!」というたったひとつの解釈の残る作品よりは「よぉ分からんけど良かったなあ」みたいなストーリーとか作品が好きなのだということをここで明らかにしておきたかった。

まずこの作品の舞台は「原因不明の自然現象(具体的には泡が降ってくる『降泡現象』)」によって水没した東京である。

水没した、

東京である。

この情報だけで正直僕としては見る価値大ありなのだが、しかもこの東京、重力がバグっている。ビルや電車が宙に浮いていたり、そこら中に泡が浮かんでいたりする。そしてその変になった歪な街を、パルクールアクションで駆け巡るジュブナイルの姿が描かれる。

勃起した。

失礼。

このあたりのパルクールアクションは「そういう競技」として片付けられているが、もう正直その辺りの脚本の強引さみたいなものはどっちでもいい。ツッコミどころは結構多いけれど、そんなことは些末なことである。

基本的にこの重力がバグっている状態は「異変」扱いであり、解決するのが好ましい状況として描かれる。しかしそこで楽しく生き生きと過ごす若者たちの爽やかな姿が描かれるせいで、この映画の結末がどうであれこの「異変」が続いてほしい、そんな寂寥がずっと滲む。「ずっとこうであってほしい」と願ってしまう。

魅力的な物語というものは、受け手にその世界を「愛させる(これは言葉通りではなく、愛する以外にも憎む、憂うなどの感情がそうである)」事の出来る物語だ。これは映画でも、漫画でも、小説でも、すべてそうだと思う。

そして物語の最後の鍵を握るぼろぼろになった東京タワー。

完璧だ。

こんなのステーキ唐揚げ生姜焼き弁当だよ!!

(ちなみに僕はそこまでハンバーグが好きではない)

とまあ見事に好みの世界観に当てられてしまって、金曜の夜にグビグビお酒を飲んだわけであるが、ともあれ物語に関しては「脚本が彼」×「題材が人魚姫」の時点で相当お察しとも言えるわけで、まあそうなるわなって感じでお話が進んだ。

GN。Good Nightの略である。

あと、これは余談なのだが、アンデルセンの紡いだ「人魚姫」の物語では人魚姫は泡になるわけですが、その後のことをご存じだろうか。

泡になった彼女はその後風となって空へ舞い上がり、世界中をめぐっていつの日か風の精霊となるのだそうで。

行きたいところに飛んでいける。いつでも、どこにでも。

そう考えるとそこまで悲劇というわけではないなとも思う。

 

この作品でも、モチーフ通りヒロインのウタは言葉を失っていて、それに起因するディスコミュニケーションなども多数描写される。

言葉がなくても、共に東京を駆け巡る中で、歌って、笑って、踊って、心を通じ合わせることが出来る。それを爽やかに、楽しく、そして美しく描き出している映像作品だと思った。

アクションが、情景が、音楽を奏でる。

そこに存在するのは確かな心の交流であり、対話である。

そして生まれつき「音が怖い」という主人公のヒビキが、その沈黙のコミュニケーションの中で気付いていくもの、取り戻していくもの──。

とまああらすじと言えばこんなものである。

物語、そして映像が奏でる「音」。人魚姫のモチーフが持ち出されている以上(というか登場人物の名前とかで露骨だが)これが確実にキーストーンになっていて、それは「映画は何をもって映画たり得るのか」について深く考えさせてくれる。小説でなければ表現しきれないもの、漫画でなければ表現できないもの、そして映画でなければ表現できないもの。そのどれもが存在し、そのどれもが人を惹きつける。

つまり端的に言えばめちゃくちゃ良い映像体験だったよということなのだが、ちょっとでも賢いふりをして少しでも作品の魅力の説得力みたいなものを作り、まだ見ていない誰かに見てもらえたらという僕の小粋でいなせな計らいであった。

映画は最近公開されたらしいので、映画館で見るのもオススメかも知れない。僕は大きい音が苦手なので映画館はあまり使わないのだが。これは小動物キャラを定着させようとしているわけでは決してない。いい年こいた男が小動物とは江田島平八がぶっ飛んでくる。

江田島平八」名乗り消毒液寄付 漫画「魁!!男塾」キャラ、愛知 - 虎と徳と服と時々グルメ。

グーグル画像検索からコピってきたらなんかくっついてるじゃん


油風呂に入らされるのも嫌なので、僕はジャパニーズマスラヲブリであることを声高に主張しておきたい。でも大きい音が苦手なジャパニーズマスラヲブリすごく嫌だな。精進します。

 

次のブログはいつになるだろうか。話す内容がなさ過ぎてマジで文学部出身特有の無駄知識をひけらかすことくらいしかできなくなってきているが、梅雨も始まるということでそのうち雨を題材に何かエッセイを書いてみようと思う。

いや、普通に書かんかもしれんけどね?

それでは、また。

「天気の子」ごっこ

毎度毎度最終回のつもりでブログを更新し続ける僕です。メメント・モリ

というより文章全般そんな感じなのだが、僕は継続的に文章を考えるということが苦手だ。出し惜しみ(というより戦略的に秘めておく)ということが極端に苦手で、この話はまた今度しよう、だとかそういうのが出来ない。その結果、3万字近くの文章を書き終わった時には「もう書けねえな」とその都度口にしている。ちなみにシリーズものはある程度完成してから貯めてストックを吐き出す方式を取っているので、これは継続的に書けているわけではなくただの瞬間風速を継ぎ足してぎりぎり前に進めているだけの話である。

特にここ最近の文章の書けなさと言ったらそれは甚だしく、仕事(テレワーク)が終わった瞬間(23時)、即座に缶チューハイを小気味好く開栓しては喉に流し込み絶叫する生活を続けているので、シンプルに脳みそが平穏な時間がない。しかし平生の人間というものは二次創作小説なんて書くはずもないし、何も焦る必要がないはずであるのだが、どう言ったわけか謎に書き続けることができていたものが書けなくなる、というのはどうにも切ない部分もある。

 

ちなみにこれはスランプとかではない。

スランプがどうとか言えるほど僕は立派じゃない。

 

まあこれからもゆったりやります。別に作家じゃないし。

今日は近況報告とともに好きな映画の話をば。別にそんな真面目には話さない。

 

なぜか狂おしいほど好きな「天気の子」

はい。「君の名は。」以降の新海が好きな僕です。ミーハーと謗ってくれても構わない。そも、ミーハーがどうこうという色眼鏡がついている人間にコンテンツの公正な評価が下せるかどうかは甚だ疑問だが、別に新海が好きなわけじゃなくて『「君の名は。」以降の新海』が好きなのであってそもそも新海ファンとは立ってるステージが違うことだけは主張しておきたい。良いもんは良い、良くないもんは良くないのである。ちなみに僕は生粋の逆張り気質なので、自らかがげているこのイデオロギーに真っ向から反発するという奥ゆかしい性質を抱えて生きている。生きづらいことこの上ない。遊戯王はやってない。ウマ娘は最近やってる。ゴールドシチーにズブズブ。

ってことでそもそも何が好きなの?と言われれば映像美、都会のごっちゃりとした風景を腹立つくらいに美しく描いてくれているのが好きなところなのだが、その点で言えばシャニマスも同様なのではないかと思う。現実に存在する風景を緻密に描くからこそそのキャラクターの息遣いが聞こえてくるもので、そう言ったところから聖地巡礼なども文化として根付いているのではないかと思うが、そんなめんどくさいことは置いといて背景が綺麗だとシンプルに「キャラクター成分」が強くなりすぎなくていい。こういうのは「キャラソン」が苦手なメンタルに共通する部分があるかも知れないが、これは多分悪口になるのでそっと胸に秘めておこうと思う。こういうところが僕の偉いところだ。ただ臆病なだけとも言えるが。

それと同じように「最近のRAD」も同様に好きだ。昔のRADはアイロニカルな歌詞で世間を誹るのが主で、10代後半の僕の思春期的精神には深く刺さったものだが、まあ色々と世間の何某に怒ることにも疲れ始めると、そんな歌詞は聞いていても辟易するだけなので徐々に苦手になっていった。そのタイミングで、最近のRADには「色々な悲しみや怒りを乗り越えた先の諦念を帯びた優しさ」が滲むようになっていて、これも新海作品のあり方のそれと重なる部分はありそうだが、そういうところが好きでたまらないのだと思う。自分に重ねる、などという10代の女子が西野カナ(もしかしてこれ古い?)を聞いてその歌詞をスマホの待ち受けにするような(もう今の子はしない?)、そんな小っ恥ずかしいことはできないけれども、自分の辿ってきた精神的変遷に寄り添うように移り変わってきてくれたものというのは否応がなく好きになる。

ここからは完全な個人的感想だが、『天気の子』で描かれているのは「理不尽な世界にファックフィンガーを突き立てること」だと思う。(なんかこんなこと二次創作の中でも書いた気がするが、まあある程度根底にこの映画があるかも知れない。ないかも知れない。)

一般に、少女と少年の恋愛などというものは社会に足蹴にされるものだ。作中でも「どうしようもないチカラ(社会的圧力)」によって2人は引き剥がされる。

「これ以上僕達から何も足さないでください 何も引かないでください(原文ママかどうかは知らん)」という作中での帆高の台詞はそれを端的に表している。それだけで満ち足りているのに、社会はそこに何かを足そうとしたり、引こうとしたりする。「そこ」にいる人間の意志は関係なく、ただ「足した方がいい」「引いた方がいい」というジャッジを「ルール」のなかで無機質的に行い、そしてそれを遂行する。現代では、少年少女はそうして蹂躙され、そしてつまらない「社会」人になる。

「社会のために引き裂かれていた」少年少女を描き続け、そして映画の最後に描き出されるのは「少年少女のために滅茶苦茶にされる文明」というカウンター。しかも、そこにあるのは「社会を打ち負かしてやった」などという憎悪ではなくて、一種のスポーツマンシップのような清々しい感情。滅茶苦茶になった世界で、それでもたくましく生き続けている人間が描かれているところが僕はフェアでいいと思う。ここで社会が無茶苦茶になってざまあみろ、となると一気に話がチープになる。どっちが悪い、どっちがいいで片付ける勧善懲悪に疲れた僕に取って、この終わり方はとても心地よかった。

f:id:wannabelemontea:20220123015021j:image

テレワーク突入前は昼休みに会社を抜け出しては川のほとりで佇んでいるのが僕のルーティンだったが、これもしなくなるとどこか寂しく愛おしい。でも冬場のこれはシンプルに寒いのでやっぱりやらない方がいい。とてもじゃないがスマホなんて触れないし、何より道ゆくwalkingご老人に「病んでる」っぽく見られるのがきつい。そもそも映画作品の雰囲気をなんとなく感じられるからと言って昼休みに1人川べりに佇んでいる成人男性が病んでいないのかというかなり不利な問いから始めなければいけないので、この話は早めに畳んでおくことにする。

でも、ごっちゃりしてて、うるさくて、機械的で、それでも腹立つくらいに綺麗な街を眺めるのはやってみるとやっぱり普通に気分がいい。

マスクをつけて外に出ないと全裸扱いされる世の中に変わっていくようだが、なんだかんだで僕らは懸命に生きているので、そこまで悲観することもないのかも知れない。なんかそれっぽい言葉で締まったので、いらない事言って台無しにする前に今日は終わっておこうと思う。また来年。

僕が好きなもの

 

恥ずかしい

 

なんか3ヶ月近く書いてないのでどう切り出したらいいものか分からない。男子3日会わざれば刮目して見よ、などというがそんなことをされては堪らない。3ヶ月会わなかったら目をひん剥くどころか、僕の衣服を引っぺがして産まれたままの姿にするしかないではないか。そんな恥部まで見られたところで僕は一切成長していないし、なんなら退化しているくらいである。デスクワークの連続でシンプルに腰をやっている。そも、前回の更新の内容を振り返ると、「排泄物の俗称を連呼して自転車の駐輪場への不満を書き連ねている」という字面すらよく分からない内容である。もしかしたら成長しているかもしんねえな。

 

そもそも不定期更新がどう、とかいうのは言っていたし、何かイベントがあったら書こうというくらいに思っていたので、更新が全くなかったことに関しては反省する必要もないのだが、まあそれはそれとしてやっていたソシャゲをやらなくなったくらいの喪失感はあるので、また少しずつ何も考えないで文章を書く時間を作ろうとは思う。思ってるだけ。

 

どうもささです。今日の天気は深夜なのでよく分からない。

リアルな話、二次創作の方でも少し忙しくしていて、それに加えて色々と僕を憐れんで仲良くしてくれる方も増えたものだから、ぶっちゃけ本当に時間がなく、そして創作に関しても時間に追われるという僕のポリシーに反することを強制されている状態である。そも、全く強制力がない状況下の人間なんて何もやり始めないのがオチなので、若干の義務感というものは何かを生み出す上で必要なのだろうが、とにかく色んなシリーズを同時並行し過ぎている感が否めないので、少しずつ一区切りをつけていこうと考えている。手始めにもう少ししたら樋口円香(23)が終わります。

 

さて、3ヶ月温めたとっておきのトークテーマがあるわけもなく、今日も今日とて自分の趣味嗜好について話していこうと思うのだが、人というのは己の「性癖」、つまり性的消費物の好みについて論じるときに水を得たシャチの如くイキイキするものだということは知っているので、すっかりナマクラになってしまった僕の「要らない話をするスキル」を呼び起こすための絶好のリハビリのチャンス、ということでここはひとつ話を広げておきたいと思う。ただ、金髪細身のギャル、だとかそういうインスタントな情報で論じてしまうと「すき!エロいよね!」くらいの京都人真っ青のうす味に仕上がってしまうので、もう少し具体的な情報で語っていきたいと思う。ちなみにうす味の醤油は塩分の量で言うと普通の醤油より多いらしいぞ。

 

タバコ吸ってる美人が好き〜

パンキッシュで無骨な女性が吸っているのもいいが、規範通りに生きている真っ当な女性が死んだ目でタバコを吸っていると良いよねという話です。

そも、女性がタバコを吸うというのにはどうしようもないドラマがある。いや、マジで。男女差別がどう、とかではなくて、女性がタバコを吸い始めるのと男性がタバコを吸い始めるのにはスタート地点でのストーリー性が全く違う。

男というのはやれ「職場での人間関係の構築」だの、やれ「吸ってるとかっこいいじゃん」などと大抵は風情のかけらも無いくだらない理由で吸い始めるものだが、その点女性のそれには「昔の男の影」などを勝手に感じられてイイ。どう言った過程で吸い始めたのだろうか、そんなことを想像するだけでもとても楽しい。考えてみればこれは痴漢などよりもよっぽど背徳的な行為なのではなかろうか。表象ではなく、他人の内面を無遠慮に妄想するというのは、リスクを背負いながらちょっと柔らかいだけのお尻を触るよりもよっぽど深みに触れているようでドキドキする。人間とは猿ではなく考える葦なのである。そんなちょっと柔らかいくらいのものを触って人生を棒に振るなど、柔らかいものに興奮を覚えるくらいしか脳のない頭の柔らかい猿のすることである。

それはそれとして僕自身の名誉のために言っておくと僕は柔らかいものが好きだ。「おっぱい」という言葉が醸し出す魅惑的な柔らかさなどには頭が上がらない。「おっぱい」が何たるかを知らなくても、その音を聞くだけでどこか魅惑的な、柔らかな何かを想像できるのは人類の言語の叡智が凝縮された言葉だからである。「おっぱい」を「おっぱい」たらしめた先人に最敬礼をしながら、僕は話を戻すのであるが、しかし僕がどういうふうにそのタバコを吸う方のバックボーンを想像したところで、痴漢とは違ってその女性に全くの不快感を与えないという点で、僕の行為はかなり高邁なものであり、ひどく倫理的であり、そしてひどく下世話である。いいのだ。美人のことを考えるときは阿呆なくらいがいい。頭のいいやつも美人の前に行けば阿呆である。

僕はタバコを吸わないので分からないのであるが、タバコを吸う目的は何なのだろう。「喫煙を通じたコミュニケーションがどうこう」と言ってくる風流のかけらもない男の話は聞いていない。タバコを吸いながら虚な目で虚空を見つめている美人の女性のことが知りたいのだ。引っ込んでいてくれ。普段は明朗快活で、完璧で悲の打ちどころのない女性がそうしていると、「やや、もしかするとこの女性には少し爛れた過去があったのではないか」などという無限の妄想が始まってとてもいい。そのタバコを吸う時、その女性の体内にはその記憶が多かれ少なかれ流れているのであって、その過ぎ去った時間に対して思いを馳せ一定の虚無感と共に自虐的に内省をしている様などとても絵になるではないか。

僕はそうして過去を抱きしめられる女性が好きだ。ただただ底抜けに明るくて前を向いているだけの人間など、ただの薄情な阿呆である。そういう人間は往々にして「美しい」もののみを是とするのであって、時間が進めば「過去」を「これがあったから今の自分が〜」などと踏み台にする。何と傲慢なことではあるまいか。「過去がなければ今はない」のであり、そして「過去は過去」で「今は今」だ。「今」によって「過去」の価値が決定されるなどというのは結果論的で恣意的な思考に由来するご都合主義である。忘れてしまった方が楽な「過去」をひとつの「思い出」として抱き締められる、そんな優しい人間が僕は好きだ。だからこそ僕はタバコを吸っている時に自分の中に流れているお世辞にも綺麗とは言えない「過去」を思慮深く、慈悲深く抱き締められる女性に魅力を見出し、その美しさに恍惚とするのである。

考えてみればこの美的感覚は人間の思考に根深く息づいている宗教にも共通するものである。仏教の始祖である仏陀は「沼にしか咲かない」蓮の花に顕現するし、イエスに至っては馬小屋の飼い葉桶に産まれる。尊いはずの人間が、忌避されるほどの澱みから誕生するという事実は、僕のこの美的感覚の強い裏付けたり得ているのかもしれない。

しかし、ここで大切なのは「そもそもその美人にそんな過去は存在しない」かもしれない点である。つまりこれは全部僕の妄想です。だから痴漢よりよっぽど無遠慮だって言ったじゃ〜ん!でも立ち止まってその女性をじろじろと見つめていたわけでもないし、そもそもそんな女性の視界に僕など映っているはずもないが、そういうわけで僕のこの視姦じみた行為は社会によって認可されているのである。なんか悲しくなってきたな。月曜日の午前3時、ちょっと辛くなってきたので安らかに眠る。

ではでは。

 

かしこ

 

うんち!

何も言わずにご唱和願いたい。

うんち!!!!!

 

満足した。嘘である。うんち1つで世の中の不満が解決するなら戦争は起こらないし、労働者組合は結成されないし、Twitterに「#うんちはただちに辞職しろ」的なかぐわしいタグが並ぶこともないのである。うんちが辞職したところで世界は変わらないし、うんちみたいな日常が変わることもない。

しかしそんな無益な、無意味な言葉にこそ意味を見出しうるのが人間の美徳というもので、「うんち」と聞くだけで腹が捩じ切れるほどに笑った時代は義務教育の充実している日本で住んでいるならば誰しもが通ってきたことと思う。今こそうんち革命を起こして、週休3日をスタンダードとすることもやぶさかではない。そして僕はうんち皇帝としてこの不毛の日本に童心を取り戻すのだ。何が言いたいかと言うと夏休みください。

 

それはいいとしてなぜこれほどまでに「動物が、消化器で消化したあと、肛門から排出する食物のかす。大便。ふん。」(デジタル大辞泉)の俗称を連呼しているかというと、それは僕の昨日の言うも涙、聞くも涙の不幸に起因する。

金曜日の定時を迎えた僕は、ステルス機能をフル活用して上司の目を掻い潜り会社からの脱出を果たす。現代日本では退社時に脳内でGet Wildを流すとよいとされているが、そんなことをすると僕の場合はそのまま会社を爆破して爆風とともに去っていくところまで再現してしまうので、新宝島で代用しておいた。エレベーターの中で新宝島ステップを刻み、久しぶりのシャバの空気を取り込んだ。めちゃくちゃ街中なのですげぇ臭かった。

家に帰って文章を書くなり映画を見るなり何かしよう、とマスク越しにでも分かる満面の笑みで電車を乗り継ぎ、最寄りの駅に到着する。駅から自宅まではそこそこの距離があるので、大学以来苦楽をともにしてきた愛車(チャリ)を駐輪場から出そうとした。

べりべり、という音が鳴った。

べりべり、は粘着性の高いものを剥がす時に発生する音で、普通であれば自転車からは発生し得ない音だ。べりべり、この音が僕の金曜日の夜の最高にハイな思考回路を完全に狂わせた。何が起きている?あれ、タイヤってこんなに平べったかったっけ。味付けのりみたいにぺったりしている。

F◯CK

タイヤの側面が爆発して何やら張り裂けていたので、もうこれはあかんやつだと理解した。あかんのならば仕方ない、と変化する状況に対応出来るのが僕の素晴らしいところだ。駐輪場の料金を支払ってしまったことは仕方がないので、ひとまずこのまま駐輪場に置いておいてバスで帰宅、しかるのちに軽トラックで回収に来よう。そう思ってバスに揺られ、

途中で浅倉透を感じたりもした。ていうかこのボタンきったねぇな。

そして軽トラックを運転して5年間をともに生き抜いた戦友の亡骸を迎えに行くと、なぜか駐輪場のクソババa…ではなく担当の方が僕の自転車を違反駐車ゾーンに移動していた。料金を払った上で指定の場所に停め続けていたことの何が違反なのかは僕の理解の及ぶところでなかったが、どうか穏便に彼の亡骸を回収すること、その一点しか僕の頭の中には存在していなかったので、引き攣る笑顔で担当の方を待ち続けた。小一時間、何もない不毛の駐輪場で、彼の亡骸とこれまでの思い出を語らい続けていると、ごってごての化粧に汗まみれの汚らしい担当の方がやってきた。なんか言っていたが、僕の中の防衛本能が働いたのか内容は聞いていない。最後の方に「まぁパンクしてるから今回は許したるわ」的な上から目線の発言があったことだけは覚えている。

UNCHI

しかし彼は僕が運転中にタイヤを爆発させることなく、最後まで駅に僕を連れて行ってくれたのだ。そんな誇り高い彼の前で汚い罵り言葉など吐けるはずもなく、僕は拳を握り締めながら彼を軽トラックに優しく積み込んだ。やたら車体が重たく感じたのは、彼に「魂」というものが宿っていたからだろうか。シンプルに僕が非力なだけだ。

今日は彼を弔ったのちに、新たな相棒を探しに行こうと思う。1日がこれで潰されるの、まじでうんち。

 

かしこ