ささまる血風帳

140字にまとめるのが苦手

スタンド・バイ・ミー

永劫の時かのように思われた6月も終わりに差し掛かって、来る7月に胸を膨らませている今日この頃。しかし7月が来たからってなんだというのだろう。噂に聞いたところでは、日本の労働者にはどうやら1ヶ月単位の夏休みというものが無いらしい。社会人のこの奇妙なスケジュールは、「8月は夏休みなのだ」という至極真っ当な教育を受けてきた僕にとって非常に不可解で非論理的だ。

毎日1本棒アイスを食べて、母がやたら買ってきてくれる小説を読みながら、テレビの高校野球のCM直後のねったまくんジャンケンで一喜一憂していたあの頃が戻ってくるなら、僕は他には何も要らないだろう。夏休みが貰えるのは、夏休みの価値が分からない間だけなのだ。猫に小判、ブタに真珠、小学生に夏休みだ、とハーゲンダッツを食べながら思っている。こんなに高いのにあの頃の棒アイスの方がおいしかったような気がしたが、多分気のせいだろう。

 

今週は月曜日にひっっっっっっっっっっっっっさしぶりに長めの小説を投稿した。相当の物好きしか喜ばない分量と重苦しい内容だったが、やはりああいったポップでないプロットが僕は好きなようで、これからもちょくちょく書いていこうとは思っている。思っているだけ。ちなみにやはり同棲シリーズものの方が伸びるらしい。どちらも好きなので、どっちも読んで貰えると小躍りする。流れるような、ごく自然な宣伝は以上。

そして昨日の金曜日。僕は会社の同僚の方とお酒パーティ(オウチダヨ!)を開催し、まあかなり飲んだ。正直そのまま寝てしまいたかったが、そうすると確実に今日の土曜日が無残なことになってしまうのは目に見えていたので、死期を悟った猫のようにそっとその部屋から退出したのである。

まあ滅茶苦茶後悔した。

まず家を出た瞬間めちゃくちゃ怖い酔っ払いのおねーちゃん達に絡まれた。いや、あれはおねーちゃんなどという可愛い生物では決してない、サバンナと間違ってコンクリートジャングルにリスポーンしてしまった女豹である。僕は武井壮氏のような対女豹の心得、戦闘技術を体得していないので、それは恐怖した。出来る限りにっこりと笑って手を振り、駅に逃げ込むことしか出来なかった。日本男児が聞いて呆れる。のちほど保健所に女豹が居る旨を連絡しておこうと思う。昨今はクマが街に降りてきたり、女豹が街を闊歩していたり、大学には猿が居たりと日本のナショナルジオグラフィック化が進んでいるのだなと思う。

女豹から逃げ切って安心した僕だったが、その安堵感のせいか、一気に脳髄にアルコールが染みていくのを感じた。薄れゆく意識の中、ぼろ雑巾と化した身体で駅構内をお掃除しながら電車を乗り継いで、最寄り駅へと向かう。なんかTwitterのスペース機能で、仲良しのフォロワーさんが楽しそうに気持ち悪い話をしているのを聞きながら、僕は電車に揺られた。終電に間に合った僕に怖い物はなにもないはずだった。

寝過ごした。アホである。

終電で寝過ごす、ということはそれすなわち詰みである。最寄り駅まではおよそ4km。駅構内のようなつるつるした床で這いずり回るのはそこまで苦労しないが、ざらざらのアスファルトの上でそれをやるとお腹がボロボロになってとても痛い。

歩くしか無いのである。幸い昨日はそこまで暑くなかったし、寝過ごした絶望感で若干酔いが覚めたところもあったので、僕は抱きついていた駅構内のベンチに涙ながらに別れを告げ、半べそをかきながら両の脚で歩き出した。

線路沿いをただただまっすぐに歩く。時折行き止まりが発生するので、その都度様々な進路変更を強いられる。愚かな僕はスマホのマップを使わない謎の意地を張ってしまったので、どこがゴールかも分からない夜道をひたすらに歩いた。創作も似たようなことかも知れない、などとそれらしいことを思ったりもしたが、そんなことよりも早く風呂に入って寝たかった。

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道中で見つけた煉瓦造りの短いトンネル。ここを抜けると気付けば別の世界だった、という不思議な体験でも出来そうな雰囲気だが、何度反復横跳びをしてくぐっても「社会人に夏休みがある世界」には行けなかった。

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こっちはガチホラートンネル。歩いている間友人と通話していたのだが、ここを通っている時だけ僕の声が向こうに届かなかったらしく、さすがに怖いので反復横跳びはしなかった。そしてこのトンネルを抜け、道路の真ん中で何もせずに立ち尽くしているおじさんの横を通り抜け、大きなマンションの前を通りがかる。

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この遊具何?

またいでのそのそと芋虫のようにこれの上を進んで股間に生まれる新感覚を楽しむ遊具だろうか。ずいぶんな性癖開拓遊具である。確かに、おっぱいを上から見た図に似ていなくもない。三角木馬の親戚のようなものだろうか。日本の性教育も捨てたもんではないかも知れない。

何も関係がないが僕はおっぱいが好きだ。見ているだけで幸せな気持ちになるし、「おっぱい」という言葉の響きそのものがあの柔らかな弾力と夢を如実に表していて、幸福感すら感じる。おっぱいを「おっぱい」と名付けた先人には未来永劫頭が上がらない。

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酔っ払って手ぶれが凄い。なんかシャニマスで出てきそうだなって思った。

この辺りから僕は通話先の友人にスタンドバイミーを歌えと言われたので「ダーリンダーリン」と口ずさんでいた。成人男性が深夜にスタンドバイミーを歌いながら闊歩する様子は、周囲にはさながら百鬼夜行の如く不気味に映っただろう。

 

酒が入っている中、未知の場所(それも日常感溢れる土地)を歩くというのはなかなか脳に刺激があって、結構なポエムゲージを貯められた気がする。浮遊感と非現実感が強く、夢の中で散歩をしているような、そんな感覚だった。暇があれば浅倉透が散歩するだけの小説とか書いてみたい。

こうして歩いたのち、何とか最寄りの駅に辿り着いて、僕は何とか家への帰還を果たしたのだった。シナリオ性など何もない、人生なんてそんなものである。

 

かしこ

山月記

ささです。華の金曜日も終わって只今の時刻は17時01分。

今現在、今日自分に起きたイベントの一覧に「起床」しか登録されていないこの現状はかなり深刻なものだと言えると思う。ただちに何かしらの行動を起こさねばならない、そう思った僕はベッドから飛び跳ねるように起床し、半狂乱状態で玄関のドアを開き、風雨を押しのけながらアスファルトを四本脚で駆け抜け、辿り着いたデイリーヤマザキサーティワンアイスクリームのナッツフォーユーフレーバーを手に取り、怯える店員を前に血走った目で会計を済ませ、自宅で飢えた獣のように休日の残滓を貪った。思っていたよりもナッツがしっかりしていてお腹に溜まったぞ。

さて、もはや義務感の産物と言っても差し支えないのだが、手始めにブログを書こうと思う。今週の小説はかなりの高確率で休みです。

だって梅雨だからね。

 

昨日の金曜日、会社のデスクにまんじりともせず座っていた僕だったが、時計の長針が「1」の数字を指し示すなりすっくと立ち上がって、奇声を上げながら部屋を飛び出した。財布を忘れたことに気付き、はたまた奇声を上げながら部屋に戻る。もはや見慣れた風景だ、とでも言わんばかりに周囲の人間はパソコンの画面から目を離さない。お前らはずっとそうしていろ、と高らかに胸の中で叫んで再び部屋を飛び出した。エレベーターの「1」のボタンを高橋名人よろしく連打したが、なかなかエレベーターが来ないこと、そして華々しくランチに向かう同僚の淑女たちが後ろから迫ってきていることもあって、僕は転げ落ちるように十数階の階段を下ることにし、遂に忌々しい黒ビルからの脱出を為果せた。

週に五回働くというのは一体どうなのだろう。そんなことは仕事をしたい奇人がすればいいだけの話であって、一般的な感覚をもってすればそれは明らかに異常な行動である。7あるうちの5、というのはどう考えてもバランスが悪い。カレーライスだってあの狭い皿の上に1:1でよそわれているし、デリバリーピザですらハーフアンドハーフだ。他の部分が全部マルゲリータで、ごく一部だけが照り焼きのピザなど僕は見たことがない。ピザでもカレーライスでも出来る「バランスを取る」という基本的な美的感覚すらも欠落してしまった現代人の行く末が心配でならない。お前らピザ以下か。

そんなことを考えながら道行くビジネスマンに今にも噛み殺さんという鋭い視線を向けつつ、僕はずんずんと街を歩く。

週休2日などと言う俄には許しがたい悪習を定めた蛮神の子孫でも居るならば刺し殺してやろうかと思っていたが、あいにく人の肉よりもダシの効いたうどんの方が美味しいので、僕は券売機に300円を投入してかけうどんを啜った。そこそこ美味いし安かったのでまた行こうと思う。温室育ちの僕は温かい飯しか食えないのだ。

空腹の解消された僕はご機嫌なスキップでビートを刻みながら街を闊歩していたが、ふと何かに取り憑かれたように足を止める。

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(google mapストリートビューより)

結構大きめのビルに2方向から睨まれながら、ひっそりと佇んでいる年季の入った民家。人が住んでいるのかどうかは定かではないので直接写真を撮るのは辞めておいたが、それにしても得も言われぬ感想を胸に残してくれる。簡単に言えばなんかエモい。

何かの感想に「エモい」という言葉を使うことを忌避する学者・文豪諸氏をよく見かけるが、僕は「エモい」は上等である。そもそも言語化するのが面倒くさいから、という怠惰が理由の90%を占めていることはまあ認める他ないが、「エモいでしか表現できない」という点もある。

言葉なんてものは尽くせば尽くすほど本当のものから遠ざかってしまうことは明らかで、僕はさっき食べたナッツフォーユーの味すら満足に言葉で表現できない。美味かった、としか言えない。逆にどう言えばいいと言うのだろうか。ナッツの塩辛さがミルクの甘みと口溶けを際立たせていて、まるで樋口円香みたいな口溶けだ、とか言っておけば満足するのだろうか。僕は満足しないし普通にキモいので嫌だ。

話があまりにも脱線した。このエモい風景について考えてみる。

発展を続ける文明が高いところから見下ろしてくる中で、まんじりともせずに立ち続けている前時代の残り香。この風景がどこかファンタジーじみているように感じるのは、いつの間にか僕自身が、四角形で出来た角張った街を見慣れてしまっていたせいかも知れない。文明に必死に抗う、というヒロイックなドラマ性があるわけでもなく、ただただそこにあるだけ。

いつまでこの家がここにあり続けるのかは分からないが、そう遠くない将来に取りつぶされてしまったその時は、もう一度見に行ってみようと思う。どんなくだらない風景に変わってしまっているのかが楽しみである。

ということで現在18:07。今日起きたイベントの一覧に「ブログを書いた」も追加できたところで、もう休日を一秒たりとも取りこぼすことは出来ないので、手始めに積んだままの映画と本を消費するところから始めようと思いながら、僕はチューハイのプルタブを心地いい音を鳴らしながら引くのである。

では。

 

かしこ

閉店間際のショッピングモール

ささです。

6月13日(日)、今晩は月曜日を迎えるのがそれは恐ろしくて、僕は布団にくるまって「絶対出勤拒否防衛圏」を構築することに勤しんでいるだろうから、日記代わりのブログをちゃっちゃと更新して「何もしなかった日曜日」の烙印を回避することにする。

そもそもなぜ「日曜日を終える」などという恐ろしいイベントにエンカウントするために休みを始めなければいけないのだろう。終わることが分かりきった幸せに、いつかは捨てられる空っぽな笑顔を向けながら、無我夢中でキーボードを叩いている僕はひどく滑稽だ。

とは言っても「何もしなかった日曜日」から「ブログを書いた日曜日」への格上げなんてものは言ってみればベーコンレタスバーガーがベーコンレタスチーズバーガーになったくらいの上昇値なので、その実、費用対効果に全く合っていないのであるが、それはそれとして僕は普通にチーズが好きなので、頑張ってベーコンレタスバーガーにチーズを乗せることにする。

ちなみにサムライマックが終わってしまったことは誠に遺憾だ。僕はあれが好きだった。

ハンバーガーとポテトの話などどうでも良いのだ。本題は僕の好きな雰囲気の話である。

昨今のショッピングモールは時勢も相まって、それは閉まるのが早い。9時にはモール内のどんな店も開いてないし、それどころかところどころ電気が落とされていたりして、洋服店のマネキンが不気味に薄明るく照らされていたりもする。のっぺらぼうの親戚とみまごうほどである。怪異とは身近に存在し得るものだと聞いたことがある。

幼少期の僕はあの雰囲気をそれは怖れたもので、家族で外食をした帰りなどに翌日の買い物のためにデパート等を訪れると、母の尻にかじりついてまんじりとも動かなかった。大抵そういう時の僕はポケモンパンを買ってもらえれば機嫌を直す。あの日に出たベトベトンのことは忘れられない。

ちなみに尻にかじりついてと言うのは比喩でもなんでもなくて、風呂に入れてもらった時に母の尻を噛んだことがあるという。その頃から輝かしい助平の片鱗を見せていたのだと思えば随分と心温まるエピソードではないだろうか。

母の尻をかじる話はここまでにしておいて、どうして人のいないショッピングセンターをあそこまで怖がったのだろうと考えてみると、「人がいるはずのところに人がいないから」だという考えに至った。

人が居て当然のデパート、終電後の深夜にすっかり人の消えてしまった大通り。あの空間は世界から浮いていて、そこに居ると元の世界に戻れなくなるような、そんなある種の浮遊感、非現実感を怖がっていたのだと思う。あと普通に薄暗くて怖い。

「好きな雰囲気の話」と銘打っておいて意味の分からない話の流れになっているが、怖がっていたのは昔の話で、今ではすっかりあの雰囲気が好きだ。

予測もつかない論理展開でお気付きだろうが、僕は奥ゆかしい男なのである。逆説的な物言いで読者の視線を引かんがためにこのような論法を取っているのであって、寝起きだの、何も考えてないだの、そんなことではないのだ。僕は奥ゆかしい男なのだから。

それと似たような雰囲気でいくと、夜の人がまばらになった空港も好きだ。あれほど広くて明るい空間に人っ子ひとり居ないと、ベンチに座って前屈みで顔の前に手を組みながら「…俺が消したのさ」とボソリと呟くだけで「消滅系能力者ごっこ」が出来て楽しい。もしかしたら当時付き合っていた恋人にはそれを見られたせいで振られたのかも知れない。僕の「理想」を分かってくれないとは、馬鹿で愚かな女性だ。しかし僕は心が広いので、いつか世界の人間を「選別」する際には彼女は生かしておいてやろうと思う。これが日本快男児のあるべき姿だ。ますらをぶり。まじますらおぶり〜!もしこのブログをJKが見ていたら、「まじますらおぶり〜!」が瞬く間にインスタ上を席巻し、朝の情報番組で取り上げられることになるだろう。なんかマジカルラブリーみたいで語呂がいい。意味は特に決めてない。

閉店間際のショッピングモールみたいな雰囲気の話から相当逸れてしまったし、何かしらの解が出せた訳でも無いが、僕はあの「人の声が遠くに過ぎ去った感覚」がとても好きだ。これは決して厭世観とか「ニンゲン、ニクイ…」みたいな悲しきモンスター的思想から来ているものではない。最近はそうでも無いかも知れないけれども、昼間は人でごった返していたショッピングセンターが、夜になるとがらんとしてしまっている様は、一種の哀愁を伴って僕の目に映る。今だったら朝が来ればまた人が来るけれども、いつかはそんなことも無くなる日が来る。

「朝になれば人が来る」夜のショッピングセンターの風景と、「もう2度と人が来ない」夜のショッピングセンターの風景は同じである。

幼い日の僕はそれを思って泣いたのかも知れないし、ただただベトベトンのデコキャラシールが悲しくて泣いたのかも知れない。でも今ではベトベトンのことも夜のショッピングセンターのことも好きだ。

布団に転がってベトベトンの話をしているといつの間にか11時である。無為な1日を過ごして死にたくなるのはまっぴらごめんなので、まずはマクドナルドにでも行ってこようと思う。よくよく調べてみるとベーコンレタスチーズバーガーなる品物は存在しなかった。仕方がないからベーコンレタスバーガーで我慢することにする。というかベーコンレタスバーガーにそもそもチーズが乗ってた。

それでは。

 

かしこ

こんにちは

みなさんこんにちは。2021年6月10日木曜日、大阪の天気は晴れ。僕です。タイトルとうどんはシンプルであればシンプルであるほどいいと幼い頃に亡くなった祖父が言っていた。僕はわかめうどんが好きだ。

ここに辿り着いている奇特な方はおそらくTwitterとかから飛んできてくださった大層な物好きの方なのだろう、と思う。まあ、万に一つくらいはまっっっっっっったく僕のことを知らないでここに来てしまった哀れな迷えるラム肉も居ると思うので付け加えると、普段はなんか小説っぽいもの書いたり、Twitterで気持ちの悪い妄想を人に見せつけるわいせつ物陳列罪一歩手前みたいなことをしているのが僕です。

そうして生まれてこの方24年間修練に励んできた日本語というものをこねくり回して人様からお褒め与ったり、舌禍に見舞われたりしている。これまでは大学生という高等遊民の特権を活かして怠惰に文章を書き散らし、それを電脳世界の闇に葬り去ってきたものだ。

ただ最近はまあ時間がない。完全に社会人舐めてた。これをあと数十年続けるのかと思うと途方に暮れた。帰りの電車では、働く事が貴いことだという実に前時代的な思考に固執している哀れな大人達を如何にして改心させようかとばかり考えている。そんな僕なのだが、この前金曜日の晩、仕事終わりに酒の席を囲んだ。実に美味くて、社会に負けたような気がした。帰りの電車でわなわなと涙を流したものである。断じて吐きそうになってたからではない。ちなみにちゃんと宅飲み。こういうところから舌禍の芽を潰さなければならないのが現代社会の恐ろしいところだ。僕らはこうして懸命に生きている。

 

時間がなくて文章を書けないという話に戻す。しかも、時間があってもなんか頭が回らない。これはひとえに僕の怠惰に起因するものだし、何の申し開きもしないが、まあ文章を書いている時間が著しく短くなったことも関係しているやも知れぬ、とも思うのである。大学生の僕はそれはまあよく文章を書いた。

触れた作品全てについて言語化する「鑑賞ノート」などという苦行にアルカイックスマイルを浮かべながら励んでいたし、大学の人手不足の文芸サークルに一度寄稿してやると完全な人数集めのために原稿を催促される日々が始まったりもした。インターネットに記事を投げるようになってからは、それはもう毎日書いた。卒業論文と並行して卒業論文よりも文字数の多い小説を書いたりもした。

それが今ではテンプレート化された社内メッセージくらいしか文を書かず、HTMLとCSSの両名と毎日顔を付き合わせて会話する日々を送っている。

つまり何を言いたいかというと、とにかく文章を書くスパンを空けるわけにはいかないのである。マグロが止まったら死ぬように、僕も…死にはしないが、まああれほど書いていたのだから書かなくなったら漲るパトスを発散することが出来ずに孫悟飯に完全敗北を喫したセルよろしく身体が爆発四散しかねない。そうなるとやはり部屋の掃除が大変なので、そうなる前にちゃんと処理しておく必要があると考えた。

 

で、ここまで前書き。終始こんな感じなので慣れていってください。ここまで残ってくれたあなたしか読者なんていないんですよ、自覚を持って。

突然だが僕はTwitterが苦手だ。140字で収まるように何かを書こうとすると、大抵は言いたい事なんて言い切れない。そうして言葉を節約した結果、人に揚げ足を取られそのまま組み伏せられて刺し殺されるのである。Twitterは戦場なのだ。僕のような細腕の軟弱者が居ていい場所じゃない。あんな場所で戦っていいのはアーノルドシュワルツネガーよろしくバズーカをスマホのストラップにしているようなフルアーマーマッチョマンくらいのものである。

それにTwitterは「これ言っていいカナ…」というような燃え切った後のマッチ棒のような火種ですらたちまち燃え広がり、「フォローさせて頂きました!」だなんて最初は言ってきていた人達が引用RTで「こんな事言っちゃってるの笑えるんですよね」とか言ってくるスラムみたいなところなので、高等遊民出身の僕には到底耐えがたい治安の悪さなのだ。僕は涙を流しながら逃げ出した。

ということでここではわりかし人を選ぶかも知れないことを書くかも知れない。もちろん理不尽に喚き散らすんじゃなくてきちんと根拠づけて理論的に話します、そういった場合は。

あとはまあ普段感じたこと(ポエム)や、妄想で旅行に行ってきた報告や、自分で書いた作品の解説…は多分しないけど、まあ自語りをすることになるのだと思う。ていうかブログってそんなもんだろ。

あとは読んだ本の話とか見た映画の話とか。なんかお題をくれたらそれについて書いたりもするかも知れない。シャニマスの話は…まあするかも知れない。コミュの感想だろうか。最近あまり読まないけれど。

とにかく、ちゃんとした文章を書くわけでは無いことはこれまでの内容を見ればキャンプファイアーを見るより明らかだと思うので、まあ満員電車の中で目の前のおじさんが広げてる新聞のしょうもない寄稿を読むくらいの感覚で読んでいただいたら実に嬉しい。僕は小躍りするだろう。

 

あと、政治の話はしません。ささまるには政治が分からぬ。

では、失踪しなければまた。

 

かしこ