ささまる血風帳

140字にまとめるのが苦手

僕が好きなもの

 

恥ずかしい

 

なんか3ヶ月近く書いてないのでどう切り出したらいいものか分からない。男子3日会わざれば刮目して見よ、などというがそんなことをされては堪らない。3ヶ月会わなかったら目をひん剥くどころか、僕の衣服を引っぺがして産まれたままの姿にするしかないではないか。そんな恥部まで見られたところで僕は一切成長していないし、なんなら退化しているくらいである。デスクワークの連続でシンプルに腰をやっている。そも、前回の更新の内容を振り返ると、「排泄物の俗称を連呼して自転車の駐輪場への不満を書き連ねている」という字面すらよく分からない内容である。もしかしたら成長しているかもしんねえな。

 

そもそも不定期更新がどう、とかいうのは言っていたし、何かイベントがあったら書こうというくらいに思っていたので、更新が全くなかったことに関しては反省する必要もないのだが、まあそれはそれとしてやっていたソシャゲをやらなくなったくらいの喪失感はあるので、また少しずつ何も考えないで文章を書く時間を作ろうとは思う。思ってるだけ。

 

どうもささです。今日の天気は深夜なのでよく分からない。

リアルな話、二次創作の方でも少し忙しくしていて、それに加えて色々と僕を憐れんで仲良くしてくれる方も増えたものだから、ぶっちゃけ本当に時間がなく、そして創作に関しても時間に追われるという僕のポリシーに反することを強制されている状態である。そも、全く強制力がない状況下の人間なんて何もやり始めないのがオチなので、若干の義務感というものは何かを生み出す上で必要なのだろうが、とにかく色んなシリーズを同時並行し過ぎている感が否めないので、少しずつ一区切りをつけていこうと考えている。手始めにもう少ししたら樋口円香(23)が終わります。

 

さて、3ヶ月温めたとっておきのトークテーマがあるわけもなく、今日も今日とて自分の趣味嗜好について話していこうと思うのだが、人というのは己の「性癖」、つまり性的消費物の好みについて論じるときに水を得たシャチの如くイキイキするものだということは知っているので、すっかりナマクラになってしまった僕の「要らない話をするスキル」を呼び起こすための絶好のリハビリのチャンス、ということでここはひとつ話を広げておきたいと思う。ただ、金髪細身のギャル、だとかそういうインスタントな情報で論じてしまうと「すき!エロいよね!」くらいの京都人真っ青のうす味に仕上がってしまうので、もう少し具体的な情報で語っていきたいと思う。ちなみにうす味の醤油は塩分の量で言うと普通の醤油より多いらしいぞ。

 

タバコ吸ってる美人が好き〜

パンキッシュで無骨な女性が吸っているのもいいが、規範通りに生きている真っ当な女性が死んだ目でタバコを吸っていると良いよねという話です。

そも、女性がタバコを吸うというのにはどうしようもないドラマがある。いや、マジで。男女差別がどう、とかではなくて、女性がタバコを吸い始めるのと男性がタバコを吸い始めるのにはスタート地点でのストーリー性が全く違う。

男というのはやれ「職場での人間関係の構築」だの、やれ「吸ってるとかっこいいじゃん」などと大抵は風情のかけらも無いくだらない理由で吸い始めるものだが、その点女性のそれには「昔の男の影」などを勝手に感じられてイイ。どう言った過程で吸い始めたのだろうか、そんなことを想像するだけでもとても楽しい。考えてみればこれは痴漢などよりもよっぽど背徳的な行為なのではなかろうか。表象ではなく、他人の内面を無遠慮に妄想するというのは、リスクを背負いながらちょっと柔らかいだけのお尻を触るよりもよっぽど深みに触れているようでドキドキする。人間とは猿ではなく考える葦なのである。そんなちょっと柔らかいくらいのものを触って人生を棒に振るなど、柔らかいものに興奮を覚えるくらいしか脳のない頭の柔らかい猿のすることである。

それはそれとして僕自身の名誉のために言っておくと僕は柔らかいものが好きだ。「おっぱい」という言葉が醸し出す魅惑的な柔らかさなどには頭が上がらない。「おっぱい」が何たるかを知らなくても、その音を聞くだけでどこか魅惑的な、柔らかな何かを想像できるのは人類の言語の叡智が凝縮された言葉だからである。「おっぱい」を「おっぱい」たらしめた先人に最敬礼をしながら、僕は話を戻すのであるが、しかし僕がどういうふうにそのタバコを吸う方のバックボーンを想像したところで、痴漢とは違ってその女性に全くの不快感を与えないという点で、僕の行為はかなり高邁なものであり、ひどく倫理的であり、そしてひどく下世話である。いいのだ。美人のことを考えるときは阿呆なくらいがいい。頭のいいやつも美人の前に行けば阿呆である。

僕はタバコを吸わないので分からないのであるが、タバコを吸う目的は何なのだろう。「喫煙を通じたコミュニケーションがどうこう」と言ってくる風流のかけらもない男の話は聞いていない。タバコを吸いながら虚な目で虚空を見つめている美人の女性のことが知りたいのだ。引っ込んでいてくれ。普段は明朗快活で、完璧で悲の打ちどころのない女性がそうしていると、「やや、もしかするとこの女性には少し爛れた過去があったのではないか」などという無限の妄想が始まってとてもいい。そのタバコを吸う時、その女性の体内にはその記憶が多かれ少なかれ流れているのであって、その過ぎ去った時間に対して思いを馳せ一定の虚無感と共に自虐的に内省をしている様などとても絵になるではないか。

僕はそうして過去を抱きしめられる女性が好きだ。ただただ底抜けに明るくて前を向いているだけの人間など、ただの薄情な阿呆である。そういう人間は往々にして「美しい」もののみを是とするのであって、時間が進めば「過去」を「これがあったから今の自分が〜」などと踏み台にする。何と傲慢なことではあるまいか。「過去がなければ今はない」のであり、そして「過去は過去」で「今は今」だ。「今」によって「過去」の価値が決定されるなどというのは結果論的で恣意的な思考に由来するご都合主義である。忘れてしまった方が楽な「過去」をひとつの「思い出」として抱き締められる、そんな優しい人間が僕は好きだ。だからこそ僕はタバコを吸っている時に自分の中に流れているお世辞にも綺麗とは言えない「過去」を思慮深く、慈悲深く抱き締められる女性に魅力を見出し、その美しさに恍惚とするのである。

考えてみればこの美的感覚は人間の思考に根深く息づいている宗教にも共通するものである。仏教の始祖である仏陀は「沼にしか咲かない」蓮の花に顕現するし、イエスに至っては馬小屋の飼い葉桶に産まれる。尊いはずの人間が、忌避されるほどの澱みから誕生するという事実は、僕のこの美的感覚の強い裏付けたり得ているのかもしれない。

しかし、ここで大切なのは「そもそもその美人にそんな過去は存在しない」かもしれない点である。つまりこれは全部僕の妄想です。だから痴漢よりよっぽど無遠慮だって言ったじゃ〜ん!でも立ち止まってその女性をじろじろと見つめていたわけでもないし、そもそもそんな女性の視界に僕など映っているはずもないが、そういうわけで僕のこの視姦じみた行為は社会によって認可されているのである。なんか悲しくなってきたな。月曜日の午前3時、ちょっと辛くなってきたので安らかに眠る。

ではでは。

 

かしこ